ブログでの一人称という現実逃避
どうも、緑のヒゲです。
しなきゃいけない事がある時に限って、普段はやらないような事ばっかりしちゃう時ってありますよね。
テスト勉強しなきゃいけない時に限って部屋の掃除が捗るとか、この番組終わったら明日に備えて早く寝なきゃって時に限って後番組が特番でやたら面白そうとか。
かくいう私も明日提出の課題を目の前にしてこうして筆を取っているわけですが。
ぶっちゃけかなりヤバイ状況です。
厳しい現実はさておき、皆さん一人称ってご存知ですかいやすいません流石に調子乗りました多分知らない人は居ないと思います。
一人称、どうしてますか?
自分はこのブログにおいて、一人称を「自分」と定めて文章を書いています。
実はこの記事の上の方で早速一人称が「私」になっちゃってて既にブレブレなんですがそれはそれとして。
いろんな一人称がありますよね。
パッと思いつくだけでも、
「俺」「僕」「私」「自分」「我」「ワシ」「ワイ」「拙者」
と色んな一人称が出てきます。
勿論状況に応じた使い分けはあるでしょう。
現に自分も日常生活では「俺」ですがこうして文章を書く時は「自分」や「私」なんかを使ってみたりして。
Twitterではなんと「ヒゲさん」がメインで使ってる一人称なんですよ自分。
あ、Twitterやってるので良ければフォローしてね!フォローした所で別にどうということはないけどヒゲさんがちょっと喜ぶよ!
https://twitter.com/greenHIGE?s=09
して、今回自分が気になったのは文章を書く時の一人称なんですよね。文章の内容が同じでも、一人称次第で印象って変わるじゃないですか。
「私」のようにオーソドックスな一人称の文章なら特に先入観を持たず内容に集中する事が出来ますし、逆に「俺」「うち」といった砕けた印象の一人称を使っていたら全体的な印象が柔らかく親しみやすい物になったり。
「拙者」って一人称を使っている文章を見た時なんかは、この人はいったいどういう心持ちでこの文章を書いたんだと不安になります。
一人称が違うだけでも、それが文章に与える影響は凄まじく大きいと思うんですね。
一人称が「俺」で書かれたレポートなんて提出した日には、印象だけでなく成績にまで甚大な影響を与えるわけです。
いやこれはまた別の話なんですけども。
でも、それぐらい一人称って大事だと思うんですよ。特に文章なんて、文字の羅列からしか自分の情報を読み手に送れないわけで。
なんかこう、一人称を決める基準というか、決め手みたいなのってあるんでしょうか。
自分は「自分」という一人称が、しっかり文章を書こう!ってなった時に一番スッと出てくる一人称だったのでとりあえず使ってるんですが、さっきも言ったようにTwitterでの自分の一人称は「ヒゲさん」がメインですし、
実際Twitterでは「ヒゲさん」っていう一人称が一番スッと出てくるんですよね。
この、自分の中で「スッと出てくる」っていう感覚がよく分かんない。
よく分からない感覚を頼りに決めた、つまり「なんとなく」です。
自分はこんな感じでなんとなく決めたわけなんですが、なんとなく決めてない人ってどういう判断基準なんだろうなと思って。
それが気になったからとりあえずその疑問をそのまま投げてみようって事で今これ書いてるんですよね。
一人称を悩みに悩んで決めた、みたいな人はいったい何を基準にして悩むんだろうなぁみたいな、そんな事をボーっと考えてます。
そんな事考えてる暇あったらさっさと課題やれよって気持ちでいっぱいです。
明日提出だぞ分かってんのか自分。
特にこれといったオチや着地点の無い話なので、課題を思い出して正気に戻れた今のうちに〆の文を書いて終わりにしましょうかね。
ごめんこんな長々と書いといてふと思ったんだけど、自分にとってこのブログってなんとなくで一人称を決められるような扱いの軽いコンテンツだったから良く考えもせず適当に決めただけなのでは?
重要なコンテンツの時はなんとなく決めてた自分だってしっかり一人称を選ぶのでは?
・・・・・・いやぁ、疑問が氷解しましたね。
この文章を書いてた時間はなんだったんだ。
スッキリしたので課題やります。
次はUndertaleの感想とかゴーストトリックの宣伝とか、もうちょっと中身がある記事を書きたいなぁ・・・。